そして死というのも単純視はできない物だと考えている。仏教では人は2度死ぬという。1度目は物体的な死、つまり告別式を終えて、火葬されるそれである。2度目の死というのは、その存在が周囲の記憶から消えていくことを意味するという。この考えは私に深く突き刺さり、それを大事にしながら生きてきたつもりである。別に歴史に名を残したいと思っているわけではない。偉い人になるつもりもない。ましてや、大学院など行くわけでもない。それよりも、自分を覚えてくれていた人が、私のことをそれぞれの子供や孫たちに伝えてくれて、私が彼らの中で「意味として生きている」事の方が重大な気がするのである。つまり、私は2度目の死というのを意識して、それに横たわってもらって生きている。
私が私が影響を与えた人たちの中で消える時、私は本当に死んだと言えると思っている。それゆえ、このように作品を残してきたのも事実であろう。人の肉体はもちろん死ぬ。人の記憶もいつかは死ぬ。だが、残したものは消えない。現代の話で言うと、デジタルアーカイブという文化がますます根付いてきて、デジタルの世界でも私たちは生きていくことができる。最近の AI での「蘇生」にはあまり興味がないが、何 か 、私の気配を「残す」ことには価値を置いている。時空を超えて、私と誰かは対話をするであろう。そしてその影響力は小さくても誰かに残っていく。そんな生き方を私はずっとこれからもしていきたいと思っている。
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