2025年7月11日金曜日

英語教育は異文化理解をどう扱ってきたか?

今回は私が進めている異文化理解の研究について、英語教育の文脈から先行研究を整理したいと思う。ここでは恣意的に3つの文献を取り上げたが、それにより英語教育のみならず周辺の分野である文化人類学のコンテキストから大いに学ぶ必要があることが分かったのは収穫である。まずは英語教育について理論と実践の立場から、広島大学英語教育学研究科の修了生がまとめた英語教育に関する2010年ごろにおける「文化」に関する記述である。


文化理解の面からの分析ー文化とは
竹中龍範(2009)

文化は、ある集団・社会に属する人々の活動様式の総和を意味する用法と、そこにおいて築かれてきた高度の精神的活動、ならびにその産物をいう場合とがあるが、外国語教育の分野において、ことばを教えるということと密接に関わると理解されているのは前者のほうである。言語と文化とは不即不離の関係にあるととらえられ、英語科が担うべき文化情報の教授・伝達という点で、この部分が果たすべき役割は大きなものがある。

👉️活動様式と書かれているが、定義や不十分ではないか? また、その文化がどのようなメカニズムで人間の個々の認知に影響を与えるのかも記述されていない。さらに精神的活動との二分法は他でもよく見られる文化の区分法であるが、そもそもこれは有益なのであろうか? 活動様式と精神的活動やその産物というのはお互いに相互に絡み合い、影響し合うものではないか? これはヘーゲル的に弁証法で考えるべきであろう。これらを踏まえ、人間の生活そのものを文化として、ここでは捉えるべきであるという結論に至る。このような生活≒文化という図式は極めて現実問題とは反しており、この定義は不十分であると考えられる。よって、ここの定義をさらに深める必要があるという結論に至った。

この文献の先行研究はしっかりなされていると思うが、この辺りで問題になった文化本質主義と文化構築主義の対立では前者の方が重きを置かれていて、後者は当時はほとんど理解されていなかったように思える。これを踏まえて、文化を構築主義として捉える思考法も必要であるということは十分にわかる。続いて2010年代終わりぐらいの時期に英語教育における文化の取り扱いについて記述された論文である。


英語教育における文化の扱い方
影浦攻・岡崎浩幸(2017)

文化の捉え方にも注意が必要です。岡部 (1996)は、 文化を次のように定義しています。

文化とは、ある集団のメンバーによって幾世代にも渡って獲得され蓄積された知識、経験、信念、価値観、態度、社会階層、宗教、役割、時間一空間関係、宇宙観、物質所有観といった諸相の集大成である。

定義からわかるように、異文化は周りにあるものが全て異文化であると考えることができます。よって、一人の中にいくつもの文化が共存していると考えることもできます。

👉️ここでは文化はある集団によって蓄積された意味の総合体として捉えられている。すなわち諸相という概念は不明瞭であるが、これらを意味として捉えれば人間の生活に関わるコードとして適切な捉え方ができるように思える。また、異文化は周りにあるものすべてが異文化であるように捉えるべきという説明からも、ギアツが考えた文化を意味のネットワークとして捉える思考法とも適合性があるように考えられる。それらを分厚い記述として残したものが物語として機能するであろう。このようにここでの文化をやや積極的に取り入れるわけであるが、まだまだ意味という概念が不明瞭なままである。また幾世代にも渡ってという記述があるが、これは通時制を強調した言い方であり、共時性についてはそれほど考慮されていないであろう。むしろ文化は無意識との関係で、ユングによる集合的無意識との関係も考えられるわけである。ここから意味を意識や無意識との関係から考える必要があるということがわかる。

2010年代ぐらいから研究は進んでいるが、まだまだステレオタイプ的な理解は拭いきれてない恐れを感じてしまう。そのため、文化をさらに社会との接合から考える必要があるという風に結論づける。では最後に、2020年代以降、異文化理解を卒業論文としても執筆し、それから長年、鋭い知性で歴史研究を行ってきた研究者の異文化理解に関する記述である。


英語と日本人
江利川春雄(2023)
最後に最も重要なことを。外国語教育の目的は、言葉と文化の多様さ、面白さ、奥深さに気づき、母語の力を高めて思考力と感性を豊かにし、世界の人々と平和的に共存していける人間を育てることである。私たちは母語とは異なる言語を学び、異文化への探究心を抱くことによって、日本語と日本文化によって拘束された自分の思考の鉄格子を取り払い、思考を外の世界へと解放することができる。外国語の学習は、その外国語をすぐには使えなくても、言葉と異文化への知的好奇心を刺激し、自分の成長欲求を満たしてくれるワクワクする活動だ。そんな楽しさを自ら味わい、次世代に伝えていこう。

👉️ここでは直感的な文章が続いているが、思考を外の世界へと解放することができるという文言に注目したい。それにはモチベーションがもちろん含まれているわけであるが、そのモチベーションというのを外発的なものとして前提とするのではなく、人間の特性として捉えることはできないだろうか? 例えば関連性理論によると、人間の認知は言語を中心とする刺激に対し、関連性つまり、認知能力と認知効果のバランスを最適化させるように、自動的に仕組みが埋め込まれていると説明されている。このように思考がある程度進めば、外的世界特に異文化と呼ばれる。外の世界に対しても人間の認知というのは自動的に開かれていくものだと考えるべきではないか? ここで人間の認知あるいは心理について、やはりメタ的に考えていく必要があることがわかる。

こうして考えると英語教育における異文化理解というのは(1)文化を本質主義的なステレオタイプ的なものとしてあまりに重視しすぎており、(2)人間のつまり、学習者の心理との関係が不明瞭であり、(3)社会との関係、特に英語教育では教室を出た社会との異文化理解の関係性がまだまだ十分に論じられてないことが分かる。


これらを解決するためにニクラス・ルーマンによる社会システムについて考えていきたいと思う。これは(1)文化を本質主義ー構築主義という二項対立が愚かだと思うほど、自由な発想で文化概念を整理するための前提条件を揃えており、(2)人間の心理(ルーマン的に言えば心理システム)と文化や社会の関係が明らかにされており、(3)社会と文化の関係は意味によってコミュニケーションを軸に考えられて明瞭である、という特徴を持つ。こうした理由から今回の研究では、ルーマンの社会システムを大いに取り入れたいと考えた。

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