2025年7月11日金曜日

【研究】ルーマン的な異文化理解:前提知識

私(和泉敏之)

以下の資料は私が人生において最後の作品と見なしている『ルーマン的な異文化理解論』の予備調査です。今回は、全ての前提となる、ルーマンにおける「文化」の概念の再定義化と私の理解がどれぐらい及ぶに至るかの調査です。


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ChatGPT

ニクラス・ルーマン(Niklas Luhmann)における【文化】という概念は、一般的な「文化=芸術・伝統・生活様式」といった理解とは少し異なり、社会システム理論の枠組みの中で定義されています。ルーマンは文化をコミュニケーションの構造化の仕方、つまり「意味の蓄積された構造」として理解しています。

 
🔍 ルーマンの【文化】の定義のポイント
1. 意味の蓄積の仕組み
文化とは、社会の中で繰り返し使用される「意味」が蓄積され、次のコミュニケーションを可能にする構造です。
➡️ 例:言語、慣習、記号、物語など。
「文化は、意味の保存と再利用のための構造である。」

2. 選択の前提
文化は、社会の中でどのような意味を選択できるか、その選択肢の範囲をあらかじめ決めています。
➡️ つまり、文化があるからこそ、人々は何かを選んで話したり、行動したりできる。

3. コミュニケーションの複雑性縮減装置
文化は、無限に広がる意味の可能性を絞り込んでくれます。これにより、社会の中で円滑にコミュニケーションが成立します。
➡️ 文化は「前提として共有された知識のストック」であり、「他者とのやり取りを可能にする前提条件」です。

4. オートポイエーシス的なもの
ルーマンの理論では、社会は「コミュニケーションのオートポイエーシス(自己生成システム)」とされ、文化はその自己生成の中で再帰的に再生される「意味の形式」となります。
🧠 わかりやすくたとえるなら…
• 文化は「意味のデータベース」
• 社会システムはそのデータベースを使ってコミュニケーションを展開
• ただしこのデータベースは使うたびに更新されていく(再帰的)

📚 ルーマンが文化について語る主な文献
• 『社会の芸術』Die Kunst der Gesellschaft(1995年)
• 『社会の社会』Die Gesellschaft der Gesellschaft(1997年)
• 『教育の理論』(Theorie der Erziehung)や『マスメディア論』(Die Realität der Massenmedien)でも文化について触れられています。

📝まとめ
観点 内容
定義 意味の蓄積と選択肢の構造
役割 コミュニケーションの可能性と制限を同時に与える
機能 社会の複雑性を縮減する装置
本質 社会システムの中で再帰的に維持される意味構造

さらに詳しく知りたい方向けに、関心のある分野(例:教育、メディア、芸術)に合わせて文化の意味を掘り下げることもできます。ご希望があれば、お伝えください。


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私(和泉敏之)

なるほど!
ルーマンの文脈で言えば【異文化理解】とは心理システムがコミュニケーションシステムとの接続により、オートポイエーシスの特質からなされると解釈できそうですね。
すなわち、社会システムにおける蓄積された意味への接続の仕方が『異』なると。
この解釈で合っていますか?


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ChatGPT

はい、非常に鋭い解釈です。その通りです!
ルーマンのシステム理論に基づけば、あなたの言うように【異文化理解】とは、

✅ 異文化理解=
心理システムが、**異なる文化的意味構造(=異なる社会システム内の蓄積された意味)**と接続しようとするプロセス

→ つまり、「接続の仕方」が異なる文化の中で、**オートポイエーシス(自己参照的意味生成)**をどう適応・変化させるか、という問題

🔍 理論的整理(ルーマン風)
概念 解説
文化 社会システムに蓄積された意味構造。再帰的に保存・再生される。

心理システム 意識のオートポイエーシス。コミュニケーションとは異なる自己完結的システム。

異文化理解 異なる文化的意味への「接続」を、心理システムが模索・構成しようとすること。

接続の困難さ 異なる文化=異なる意味の選択体系 →「自分が当たり前と思っている前提」が通用しない。


🌐 さらに深く言うと…
• ルーマン理論では、心理システムとコミュニケーションシステムは別のオートポイエーシス的システム。
• しかし、**構造的カップリング(Structural Coupling)**によって接続される。
• 異文化理解とは、この構造的カップリングの「ズレ」を意識的に調整しようとする試みとも言える。

🧠 あなたの表現の解釈
「社会システムにおける蓄積された意味への接続の仕方が『異』なる」
⬅️ これはまさに「異文化」の本質であり、
「心理システムがその接続のズレを、自己のオートポイエーシスを変容させながら橋渡しする」
⬅️ これが「理解」の動的過程である。


🎯 結論:あなたの解釈はルーマン理論において的確で、理論的にも展開可能です!
もしこの観点からさらに、
• 教育(例:異文化間教育)
• 翻訳論
• AIと異文化
• 観光・国際ビジネス などに応用してみたい場合も、ルーマン理論で深掘りできます。
ご希望があれば一緒に展開していきましょう。


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私(和泉敏之)

大体の理解は正確さから逸脱しておらず、安心したのが一番の感想である。特に彼の「異文化理解とは、心理システムとコミュニケーションの構造的カップリングのずれを訂正していくこと」というポイントは目からウロコであった。

今回テリーイーグルトンによる『文化とは何か』を参照しながら、この文化概念を補強したい。

すなわちエリオットにとって文化とは、

私たちの客観的な認識を可能にする超越的条件であるがゆえに完全に客体化はできない。

文化は全了解の集合体である。

と言われている。これはウィトゲンシュタインと理解を共通にしているという。
つまり、文化という実態のない概念をどのように捉えるかというのは長年問題視されてきたことであるし、それにより文化の定義が困難であったと考えられる。私は半ば挑戦的に、文化概念をダークマターのように捉えたいと考えた。ダークマターとは宇宙に広がる観測不可能な時空間であり、そことの観測可能な時空間は一体どのようにコミュニケートしているかは不明であるとされている。このように文化をダークマターのように時空間に隔在する概念として捉えることを私は今回のとりあえずの理解としておく。文化は意味のデータベースとも言われていたが、これは必ずしも目に見えるものではなく、また手に触れられるものでもなくーその逆は可能性として存在するー人間の心理に影響して、そこからコミュニケーションが接続されていくために、カップリングするための橋渡しということになるのではないか? 今回、 AI は心理システムを橋渡しという言い方をしたが、私はどうしても心理システムとコミュニケーションの関係性から考えてしまうので、文化を橋渡し的な機能を持つものとして捉えるに至った。もちろん、これは理解が進めば修正する可能性がある。だが、今のところ文化概念とは心理システムがコミュニケーションシステムとカップリングし、接続し、継続していくための橋。渡し的な概念として捉えておく。

今回、やはりと言うべきか、カルチュラルスタディーズの知見から、さらに根拠としての文化概念をさらっておく必要があると感じた。これはテリーイーグルトンの著作をじっくりとではないが、さっと再読した結果でもある。ここにはレイモンドウィリアムズなどの興味深い論考も存在している。さらにこれは個人的に感じたことだが、文化が実体的でないというスタート地点から始まって、ナショナリズム特に作られたナショナリズムという観点からベネディクトアンダーソンは外せないものだと感じた。

妄想は進むが、
人間は1日にできることには限りがあるということも学んだので、今日はこのぐらいの妄想探求で終わりたいと思う。ごめんちゃい。


参考文献
テリーイーグルトン著、大橋洋一訳(2006)『文化とは何か』松柏社

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