2025年7月5日土曜日

社会システム:コミュニケーションについて

ChatGPTに「社会システム理論におけるコミュニケーションシステムの複雑性の縮減」を図式化してもらった。

外側の大きな円がコミュニケーションシステムであり、参加者はその中で推論を継続させ、コミュニケーションシステムの複雑性を縮減している。

この作ってもらった図では極めて個人認知に近い形になってしまっているが、これでも十分な理解はできよう。コミュニケーションの複雑性を縮減することによって、さらに円が継続して行き、また小さくなっていく。この繰り返しによって、コミュニケーションは継続されていく。

そこに助成をするのが意味の概念である。図では人間の手によってコミュニケーションシステムを維持するための助成をイメージしているが、もしかするとChatGPTにおいて、意味というのは自我や他我のような心理システムに集約されているという理解なのかもしれない(それは「手」明らかであろう)。私は心理システムから必要なだけ意味を選択するものだと思っていたが、ここでの理解であれば、必要なだけが心理システムに内蔵されているようなイメージになる。もちろん、これは社会システムと呼応をした状態になっているであろう。

最近私は意味という概念もしくは、さらに言えば文化という概念は人間の「無意識(フロイト)」や「非意識(ユング)」の考察によって光が照らされると感じてきた。この考察はあながち間違いではないのだな、そう勇気づけられた。

では逆に歴史の中から意味を紐解いていって(というより、ルーマンは意味を概念的に構築するためにそのような仕事をしている)そこから無意識や非意識というマクロな構造と人間の心理というミクロな構造を結びつければ、文化なる概念が新たに構築されるのではないかと愚行した。

長い長い前置きの後に結論を申すと、
私はこれからしばらく歴史研究に身を投じたいと思っている。それはもちろんというべきだろうが、ルーマンのゼマンティーク理論を横目に置きながら行う歴史研究である。それによって文化という概念を再び再考してみるきっかけになれば幸いである。

最後に蛇足だが、私は社会システムについて、2014年から勉強してきて、本格的に勉強に熱を入れたのは Covid-19 が始まった2020年からである。1つのことも突き詰めれば、たとえ年月はかかっても、色々見えてくるものはあるのだな、そのように感じている。これは甲野善紀さんと平尾文さんの著作に書かれていたと思うのだが、何かを強く念じれば願いが叶うような単純な世界観ではなく、何かを強く思い続ければ、いろんな世界が切り開かれると思った方が良いのではないかということを再認識した。

古い時代も今の時代も、色々な経験をした頭が切れる方に私淑する大切さも学んだ次第である。

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