あっしが毎朝タイトルだけ見ている「RT news」や英語のリスニング用に聞いている「Democracy Now!」でも日本のデモが取り上げられたことはほとんどない。というか記憶にない。
日本のデモは自己主張が激しい。
そう、私は勝手に考えている。「〜しろ」という命令文句をスローガンにして、自分たちの主張をぶつけるのが精一杯なのだろうか?
一方世界のデモは多くの場合「〜な世の中を」というような提案型なのである。「王様は要らない」というのも「王のような支配者が君臨していない世の中を作ってほしい」という提案をしている気がする。
これは言語の問題なのか?
日本人は日本語という壁に守られてこれまであまり自己主張をしてこなかったと世界を報じてもおかしくないはずである。そこに爆発したのだろうか、いや、あまり爆発ではないのだろうか? 「〜しろ」という構文のもとデモ活動の主張が行われている。「財務省を解体しろ」「税金を下げろ」「移民の増加を認めるな」あげてったらきりがない。
彼を批判するつもりはもちろんないが、ここに来ての日本のデモ活動の盛り上がりはやっぱり森永卓郎さんの遺言にある、そう私は考えている。でも、森永さんは「財務省を破壊しなさい」とかいうように、後世の人たちに命令をしただろうか?こんな情報があるんですよ、という情報提供の意味が大きかったのは彼の偉大な日本社会に対する貢献だった気がするが、それを受け止めたの。日本人は命令口調で自己主張が激しいのだ。
日常生活で不満ばかり。
そういう人は確かに多いだろう。私は自分の人生ポジティブには捉えられるほどではないけど、なるべく理知的な繰り返しとして考えられるようになってきた。金持ちじゃない。名声もない。けど、パートナーや家族やぬいぐるみとともに暮らす、この穏やかな日常がどうもデモに参加する人たちとずれてる気がしてならないのである。
日常生活で不満ばかり。
不満の矛先が家の外に出て、大声で叫ぶようになったんだろうか? 記憶にあるのはある人が「デモがしたい、私ここにいるよって証明したい」とオンラインで話していたことである。私はシールズなんかがデモ活動はしていた時は、これは若い人たちの「個性の表現」なんじゃないかと思ったことがある。自分たちの個性を政治色というよくわからない。いや、本当によくわからないマントで着飾って大声で叫んでいたのが、今から10年ぐらい前の若い人たちでデモに参加していた人たちだったんじゃないかな、そう思っている。
個性の表現でもないのかな?
今の日本人のデモ活動は個性の表現でもないのか。自己主張が激しいのはある意味個性を表現しているとも言えないわけではないが、すごく捻じ曲がった風に観察してみると、それは支配欲につながるちょっと怖いーというか引くー価値観やメカニズムで動いているような気がする。
それを政治家や官僚たちはどう見てるんだろうか? 命令するなって思うんだろうか? 言わせて、ただ笑っているだけだろうか?
SNS で流行語大賞を取った?同調圧力っていう言葉もこの辺りが関係しているのかなと。命令してくれ。じゃないと動かない。命令してくれた。じゃあ従う。君たちも命令に従ってくれ。みたいな。
SNS のほんの一部の民意、しかしやけに目立つ民意が次の新しい総理大臣を登場させそうである。1つ真剣に、いやちょっと距離を開けて注意。深く観察し続けたいものである。
いつか世界のニュースで日本のデモ活動が大いに取り上げられる日が来るかはわからない。トレンドに乗っているだけだと、もしかしたら記事を書く人たちは思っているのかもしれない。さっきの民意の話に似ていて、デモ活動で叫ぶ声はやっぱり目立つから、それが民意として取られるのもちょっと私としては、ダウトなのである。
ま、こんなところで誰にも読まれない駄文を書いている私よりははるかに日本のために動いている人たちの叫びは重要かもしれないけど。
おわり。
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