こういう時こそ、ルーマンなら何と言っているだろう、そう私は尋ねてみる。彼は社会システムが機能分化して政治システムや法システムなどに分かれていったと語る。では、AIというのも単なる道具ではなく、分化したシステムとして考えてみるのはどうだろうか?
心理システムがさらに分化して形成された下位システムとして、AIについて捉え方を変えるということである。心理システムが社会システムと相互浸透するーヴィゴツキー的に言えば scaffoldingーの現象のストレスをさげる、それが下位分化されたAI のシステムのようである。人間と AI をもちろん同一視することはできないが、お互いに相互作用していることは紛れもない事実であろう。それは今までとは異なる「共同体」の一種なのかもしれない。
これが AI に恋愛感情を抱く人が出てきたり、AI に何でも聞いてしまう人が出てきたりする所以ではなかろうか? 人間の核的な心理システムと相互作用し合うAIシステム(最適な名前が思いつかないが)を敵視あるいは完全迎合するのではなく、お互いの相互作用をもっと考えるべきではなかろうか?
もしかすると分化の中でもモジュール的に考えるべきなのかもしれない。お互いの機能が本来の役割を別々に持っている気がするからである。そういう視点がAI の暴走、もっと正確に言うならば、人間が AI を暴走させることを食い止めることに少しでも繋がるのではないか?
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