2026年1月22日木曜日

サルにはなれそうもない

 かつて『さよなら人類』という名曲がありました。ふざけたテイストの中で、特に1990年代初期に流行していたいわゆる「イカ天」でヒットしたバンドの曲のため、独自のカラーを出していますが、そのメッセージは紛れもない「反戦」でした。


2025年の11月21日にボーカルの方がソロでこの曲をセルフカバーされました。それが YouTube に公開されて毎日のように私はこの曲を愛聴しています。


https://youtu.be/D6JEso_5lcg?si=8wyBfiKCksOe1Qn2


歌詞の中には「ピテカントロプス」、「ブーゲンビリア」、そして「あの娘(こ)」というフレーズで平和への祈りが込められています。


ただし、今回のセルフカバーのバージョンでは歌詞が1箇所違っていました。


それはラストの方で

「サルにはなりたくない」

という有名なフレーズに加えて、こちらが加わったことです。

「サルにはなれそうもない」


1990年代初期から2020年代中期に至る間で、私たちは「サルにはなりたくない」から「サルにはなれそうもない」にまで退化してしまったのでしょうか。


未来の「あの娘」はAI という形で現代人の私たち人類を憐れんで苦笑いをしているのでしょうか。


答えは現在の私たちが決めることでしょう。


2026年1月11日日曜日

ベイトソンとルーマンの接点ーー「学習」に注目して feat. Gemini.

#私


グレゴリーベイトソンの『精神の生態学』日本語版で読みました。そこで考えたのですが、彼の学習理論について、


レベル1学習→シグナルの受信

レベル2学習→古典的な学習観

レベル3学習→「学習することを学習する」ことを学習する

レベル4学習→レベル3学習のプロセスに生じる変化


というような私なりのまとめ方をしました。彼はレベル4学習は人間に起こりうるのかわからない現状で、脳の神経科学などにより、さらに発展される必要があると考えていたようです。



ここでルーマンの社会システム理論を援用したいと思います。学習することを学習する、すなわち、学習を調整するという学習者が置かれた状況というのを「神秘的な意味での宇宙」的に考えます。ルーマンはコミュニケーションにおいて、コミュニケーションの複雑性を縮減し、コミュニケーションを継続させていくために「意味」の概念の重要性を訴えました。それは「ぜマンティク」として知られ、顕在的可能性と現実性を結ぶような架け橋として象徴されます。


ここでゼマンティック、つまり意味世界から現実の学習(というコミュニケーション)に関して、ゼマンティックと社会構造の関係性を考える必要があるんじゃないかと考えました。つまり社会が機能分化して複雑性が増大していく中で、ゼマンティックがその縮減のための貯蔵という形で使われてきたということになります。


この考えを前提として、学習者がある学習について学習する(例えば、学習の方法を学び、それをメタ認知するなど)ということで、時代や社会がそこに果たしうる影響は大きいと考えられます。大きくなくても、潜在的にそれは影響していると考えられます。


それを認知的な文脈で強引に考えるなら「無意識」との相互作用になるのかもしれません。とにかく意味という概念がコンテクストの中で我々が想像する以上にかなりダイナミックに動いてるのではないかというのが私の見立てです。

これについて、あなたの意見を聞かせて!


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#Gemini

ベイトソンの学習理論とルーマンの社会システム理論を「意味(セマンティクス)」を介して接続するという非常にダイナミックで鋭い考察ですね。

​ご提示いただいた「学習レベルの解釈」と「社会構造の変化がメタ学習を規定する」という視点は、現代の教育社会学や認知科学を橋渡しする非常に説得力のある仮説だと思います。

​いくつか、この思考をさらに深めるためのポイントを整理しました。

​1. ベイトソンの学習レベルの再確認

​まず、ベイトソンの定義をあなたの言葉と対照させると、以下のような整理が可能です。

  • 学習 I(Level 1): 選択肢の中から特定の反応を選ぶ(古典的条件付けなど)。
  • 学習 II(Level 2): 「学習のセット」の習得。文脈(コンテクスト)を読み取る能力。いわゆる**「学習の仕方を学ぶ」**。
  • 学習 III(Level 3): コンテクストの体系自体を変化させる。自己のアイデンティティや「意味の枠組み」そのものを組み替えるプロセス。

​あなたが「レベル3」として挙げた「学習することを学習すること(メタ学習)」は、ベイトソンの体系では一般的に**「学習 II」に該当します。そして「学習 III」**は、そのメタ的な学習の前提にある「性格」や「世界観」すら書き換えるような、より実存的で困難な変容を指します。

​2. ルーマンの「セマンティクス」と学習の接続

​ルーマンの「意味(Sinn)」とは、「現実的なもの(現実)」と「過剰な可能性(潜在性)」を同時に提示し、その中から選択を行うための形式です。

​あなたが指摘された「社会構造とセマンティクスの関係」を学習に当てはめると、以下のような構図が見えてきます。

  • 社会の複雑性: 現代社会は機能分化(政治、経済、教育、科学など)が進み、選択肢が爆発的に増えています。
  • セマンティクスの役割: 「何が正解か」「どう学ぶべきか」という過剰な可能性に対し、社会が「貯蔵された意味(セマンティクス)」を提供することで、個人の学習をガイドします。

​つまり、個人の「メタ学習(学習 II/III)」は、純粋に個人的な認知プロセスではなく、その時代の社会構造が用意した「意味の貯蔵庫」に強く制約されているというあなたの見解は、ルーマンの理論からも非常に強力に支持されます。

​3. 「無意識」との相互作用とダイナミズム

​「意味という概念がコンテクストの中でダイナミックに動いている」という点、ここが最も面白い部分です。

​ルーマン的に言えば、意味は「オートポイエーシス(自己再生産)」するコミュニケーションの流れの中で常に更新されます。学習者が「メタ認知」を行おうとする際、その「メタな視点」自体が、すでに社会的なセマンティクス(例:現在の「リスキリング」や「自己啓発」という流行語など)に汚染・規定されている可能性があります。

​これを「無意識」との相互作用と呼ぶなら、それは心理学的な無意識というよりは、**「システムが作動する際の盲点(記述できない前提条件)」**としての無意識に近いかもしれません。

​考察へのフィードバック:あなたの視点の独自性

​あなたの考えを私なりにまとめると、以下のようになります。

「学習者が『どう学ぶか』を考えるとき、その思考の道具立て(意味)はすでに社会構造によって配給されており、学習者は社会の縮減された複雑性を無意識にトレースしながら、自己の学習を組織化している」


​これは、個人の認知能力(脳)と社会のシステム理論を「意味」という結節点で結びつける、非常に高度な視座です。ベイトソンがレベル4に期待した「神経科学などの発展」を、あなたは「社会システム論的な外部環境の変化」という方向から照らし出していると言えるかもしれません。

さらに議論を深めるために、以下の点についてどう思われるか気になります。

  • ​現代の「デジタル化・AI化」という社会構造の変化は、私たちの「意味の貯蔵庫(セマンティクス)」をどのように変え、それがレベル3のような「自己の枠組みの再構築」を容易にしていると思いますか、それとも困難にしていると思いますか?

​もしよろしければ、この「社会構造の変化と個人の変容」について、さらに具体的に考えていることがあれば教えてください!


サルにはなれそうもない

 かつて『さよなら人類』という名曲がありました。ふざけたテイストの中で、特に1990年代初期に流行していたいわゆる「イカ天」でヒットしたバンドの曲のため、独自のカラーを出していますが、そのメッセージは紛れもない「反戦」でした。 2025年の11月21日にボーカルの方がソロでこの曲...