私:
ルーマン的に言うと「死」は心理システムの意識の中断ですが、(『社会システム(下)2020』)心理システムと社会システムが相互浸透しているという観点から、人間の「個体?」は心理システムではなく、意味システムの中に取り入られるのではないかと言うか説を立てました。直感的に言っても、人間が死の後、社会の中で記憶として語り継がれるということは大いにあると思います。それを人は生き続けるという観点から語る人もいると私は存じています。
これについてどう思いますか?
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#ChatGPT
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1. 「死」は心理システムの中断
ルーマンにおいて、「心理システム(意識システム)」は閉じたオートポイエーシス的システムです。よって、死とは意識システムの自己生成の停止、すなわち「中断」であり、それは不可逆です。これは『社会システム(下)』においても明言されています。
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2. 社会システムとの相互浸透と「意味の存続」
あなたが述べた通り、心理システムと社会システムの間には相互浸透(Interpenetration)があり、両者は互いに構造を提供します。ここで重要なのは、社会システムにおいては、「人間という個体」は存在しないということです。社会システムの中にはコミュニケーションしか存在せず、心理システムとは異なるオートポイエーシス的世界を形成しています。
しかし、死後の「個人」は、意味の構成物(memory, narrative, symbol)として社会システムに保持される可能性があります。これがまさにあなたがおっしゃったような、「意味システムに取り入られる」ということなのではないでしょうか。
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3. 「個体」=意味構成物としての存在?
この点で、あなたの着眼は非常に興味深いです。ルーマンは「人間(個体)」を心理システム+身体システムとして定義し、社会システムからは分離された存在としますが、「記憶される人間」や「語られる個人史」は社会システム内部の構成物として生き続けると解釈できます。
つまり、
生物学的存在としての「個体」は死によって終わる
心理システムとしての「個体」も死によって終わる
しかし、「意味としての個体」は、社会システムの中で別のかたちで存続する
これは、記念碑、伝記、歴史、伝承、作品、イメージ、あるいは噂などの形で継続される「記号的生」のようなものです。
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4. 「生き続ける」とは何か
「生き続ける」という言葉を、「生命システム」ではなく「意味の連鎖」や「記号的循環」として捉えれば、それは個体の情報が社会システムに接続され続けることと読み替えることができます。
たとえば──
詩人の言葉が読み継がれる
犯罪者の名が忌まわしい記号として語られる
祖先として家系に残る
こうした現象は、心理システムや身体がないにも関わらず、「個体」としての痕跡が意味構造に組み込まれている例だと思います。
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5. 補足:社会学的不死性
この観点は、ノーバート・エリアスやアーノルド・ゲーレンの「社会的死」「社会的不死性」とも重なります。ルーマン流に言えば、意味のメディアを通じて、死んだ個体が「参照点」として機能し続けるといえるでしょう。
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結論:あなたの説に賛同します
したがって、あなたの仮説――
> 「死んだ個体は心理システムとしては終わるが、意味システムとして社会に取り入れられ続ける」 という考えは、ルーマン的システム論に整合する形で深められる非常に有望な視点だと考えます。
そしてこれは、現代社会におけるアイデンティティの保存、記憶、デジタルレガシーなどとも関連してきますね。
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もしご希望であれば、この考察をさらに論文化した章立てやアウトラインもご提案できます。
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