アイヌと琉球ーーポスト「コロニアル」はまだか?

ポストコロニアル、つまり帝国主義以後の世界の切り取り方として有用な理論があるが、有名なのはサイードによる【オリエンタリズム/オキシデンタリズム】の二項対立であろう。つまり、東洋の眼差しと西洋の眼差しが相互に分解されているとでも言えるだろうか。

日本は長らく米国を中心とした、英語使用文化圏ともいえる言語文化に憧れの気持ちを持ってきた。ただ、ここ数年は、日本人の多くの(後で語るが、「日本人」と一体何であろう?)価値観として浮き彫りになってきたのが、よくも悪くもナショナリズムであり、逆にオリエンタリズムとオキシデンタリズムの二項対立では語れない。空気が蔓延しているように気がしてならない。

さて、そうは言っても日本人とポストコロニアルは関係がないとまで聞かれることがあったが、例えば日本が中世までに支配した、琉球とアイヌについては、どのような考えが及ぶであろうか? それぞれ日本の本土あるいは内地とは違った文化圏を持っており、それでも関わらず、時の内地の権力者たちは自分たちに同化させる政策を取ってきた。顕著なのは「標準語」教育であろう。日本人の多くを「標準語」で、使用するように生活様式を変えてしまえば、権力者に従順になり、対抗するものは少なくなるという、基本的な帝国主義のイデオロギーとそれに影響を受けた政策がされたのは事実である。日本語をきちんと定義づけず、日本人をきちんと定義付けないのは私が大学にいた2009年ぐらいから少しずつ議論はされてきたが、それは2025年に至っても、いや、逆に悪化している。「我々」が「日本人」で「彼ら」は「物言わぬ他者」という大掛かりで、独善的なバイアスがかかっているのではないだろうか?

また、琉球では太平洋戦争時に唯一の内戦が行われ、労働者人口のほとんどを戦争の犠牲に追いやってしまった。アイヌは常にソビエトという巨大な力の影を見つめ怯えなければならなかった。日本の周辺といえば地理学的に致し方ないということも、一見理解はできよう。だが、その周辺にまで中央はそれぞれのルーツやオリジナルを重視した政治を行ってこなかったのが、不明瞭な日本本土の社会文化が琉球やアイヌではびこるようになり、明治維新の大義名分であった「欧米に植民地にされない」というテーゼは早くも綻びるようになってしまった。

戦争が終わって、沖縄は1970年代にやっと日本本土に復帰することになった。しかし、これはベトナム戦争が関係しているとも言われ、利害関係によりアメリカから「プレゼント」という、原地の民にとっては屈辱的なラベルを貼られて、日本本土復帰がなされたことになった。ここにも日本本土と琉球とのパワーの格差が露呈していることになる。ちなみに琉球は多くの人が知っているように、アメリカ軍の基地が多く占めるようになり、冷戦時代のやはりアメリカとソ連の「兵隊訓練所」のような立ち位置で、アメリカから日本に帰ってきたのは否めないであろう。戦争の根はどこにも宿しているのである。それにより、琉球沖縄には「抑止力」が設置されているが、これについて明るめに入れることはとうとう今までのなかった。

ここまでまとまりのない文章を書いてきたが、琉球やアイヌはそれぞれに「血」を流しながら、日本その後はアメリカやソ連の脅威と戦ってきたのである。これを帝国主義の影に潜む恐怖心と言わないで何と形容することができるのか? それぞれの「人間」こそがこれからは再注目されるべきではないか? 私が知る数少ない、沖縄の友人や北海道の友人は、本土の人間よりも穏やかでおおらかである。自然に包まれて生きてきて、悲しい歴史を背負う人たち特有の笑顔なのかもしれない。そのような琉球とアイヌの「人」に焦点を当てた、もしこう言っておければ「開発」がなされる時が来るのかもしれない。

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