令和の歴史
令和の歴史
ールーマンの意味理論による分析ー
covid 19を中心に、AI などのテクノロジー発展という令和は、そこだけ切り取っても歴史記述の価値があるように思える。そこで今回、歴史分析に有益であると思えるルーマンのゼマンティックを用いて、この時期について分析したいと思う。特に彼のバイナリー意味コードの手法を援用したいと思う。
令和元年
様々な巨悪事件の発生
自然災害の多発
令和2年
covid 19世界的に流行
オンラインによるコミュニケーションの増加
令和3年
東京オリンピック開催
メタバースの流行
令和4年
チャット GPTが発表される
令和5年
AI が発展する
Z 世代の台頭
令和6年
能登半島大地震
SNSの浸透
大谷翔平という記号
令和7年
全国でデモが起きる
大阪関西万国博覧会開催
平成と違い、以前の天皇が上皇になられたこともあり、令和は華やかな幕開けであった。だが、この頃巨悪な殺傷事件なのが頻発に起きた。また、平成の終わり頃から引き続き台風や地震などの自然災害も多発した。こんな中令和の始まりは平成の意味を引き継いでいたように思える。
本格的に令和の色合いが強まったのは2020年、つまり令和2年からである。と いう の は covid 19が世界的に流行し始めたからである。これにより「連携/分断」という意味コードが市民権を得た。オンラインを軸にして、コミュニケーションを図る連携的な動きと裏腹に、コミュニケーションは各々で切断され、分断的な動きも見えた。
令和3年は引き続きcovid 19の影響を受けるが、東京オリンピックが1年延期で実施されたのがこの年である。ここでは「自由/自粛」もっと深読みすると「反発/従順」という意味のコードが浮き彫りになった瞬間であると言える。感染症の感染を防ぐため、自粛生活を継続するか、あるいは自由な生活を取り戻すかという選択が各々に課せられるようになった。これは社会政府に従順であるか、あるいはその価値観を超えて反発的であるかという意味の分析にもつながると思う。それは東京オリンピックという記号により裏付けられるようになった。このオリンピック開催を軸にして、感染症との向き合い方、あるいは生活感がさらに各々に課せられるようになったのである。結局、東京オリンピックは東京都の緊急事態宣言発令中に開催され、これが結果的に各々の自由や反発という意味を深めることになった。この時期には「挑戦」という言葉が概念の深い理解を不十分に広がるのには十分な時期であった。また、 若い 世代を中心に「本質」も本質的な(!)理解が不十分なまま広がるようになった。
そのまま令和4年は感染症への警戒感が各々に受け取られるようになり、次第に陰謀論のようなものが社会的に通用するようになってくる。ここで分析できるのは「信頼/不信」の意味コードである。従来のテレビなどのメディアを鵜呑みにするか、あるいは自ら主体的に受け取った情報が信じられるかどうかは、この頃から各々の価値観に左右されるようになったように思える。これは6月の安倍晋、三元首相の暗殺事件により、さらに広がった意味であると思える。彼の暗殺には様々な憶測が生まれ、それにより新旧メディアというような新語も作られ(この語彙がSNS を中心に市民権を得るのは後のでも活動の広がりの時期であるが)、それがさらに拡大するのは、12月(11月?)のオープン AI によるチャット GPT の発表であった。これは対話式の質問ができるというこれまでにない AI の発展であり、各々が受け取れることができる情報はさらに分散的に拡充することになった。
令和5年は AI がさらに発展し、陰謀論もますます市民権を得て、むしろ情報に対する「不信/創出」のような意味コードが世間に広がるようになったと思える。情報を信じないだけでなく、さらに自分たちで情報を組み合わせて新しい情報を作り上げるという言動が、SNS でも広がっていった。これに拍車をかけたのがおそらく2000年代ぐらいに生まれた Z 世代と呼ばれる新しい世代の登場だと思われる。彼らは生まれながらスマートフォンやSNS に囲まれた世代であり、自ら情報を作るものは自らオンラインで発展していき、いわゆる格差も情報や経済的に広がっていった世代に思える。
これは令和6年の始まりで起こった能登半島地震でも顕著に現れた。自らオンラインでつまり SNS で情報を発信するもの、沈黙するものが顕在的に分出され、SNS を中心とした、新しいコミュニケーションメディアのシステムが成立したように思える。また、古典的な意味を超えた「保守/革新」の意味も充満するようになり、どちらかといえばcovid 19発生時期における分断の意味はここで強調されたように思える。分断のある程度の軽減は大谷翔平のようなヒーローという記号によってなされている。だが思い出しておきたいのは、彼は日本で活躍しておらず、米国でメジャーリーガーとして活躍していることである。これは日本というコンテクストにおいて、ヒーロー的存在が半ば存在できない状況にあることを表現しているのかもしれない。あるいはヒーローは日本では、もしかすると独裁者のようになってしまうのかもしれない。これにはまだまだ追加の検討が必要である。
令和7年には、SNS を中心に財務省などへのデモが呼びかけられ、それか拡散された。これにより「陰謀/真実」という意味は「確信/非ー確信」のコードに置き換えられ、裏付けや根拠が不十分なまま情報が知識として転換され、それらが SNS を中心に市民権を得るようになった。この影響は間違いなくアメリカで再び就任したトランプ大統領の影響が大きいと思える。それは AI などのテクノロジーを十分に使いこなせる人々と、それを使い。こなせない人々の中では、言うならば情報が分断的に処理される結果となった。
このような拙い分析から、これからの令和から新しい時代のことを予測してみると、
・新しいテクノロジーを使いこなせるものと使いこなせないものの分断
・情報という価値の安価値化
・情報を自ら作り出せる人間の登場
という未来予測が傲慢で乱暴だができると思う。ここで私は単純な未来予測に肩を寄せるわけにはいかないが、もしこのような事態に立ち向かい乗り越えるのであれば、やはり言語を大事にすることが一番の重要な対応策でないかと思える。特に古典を中心とした長きに渡り、価値が変わらないものに対して、さらに各々が向き合い、重要視する必要があるのではないか?
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